第三稿
某同級生弁護士並みに時間を守らないバスで知られる岐阜バスに揺られ、若宮町の交差点を通過する。
今はありありと存在感を放つ高島屋も寿命はあと8ヶ月。
柳ヶ瀬の雰囲気にはすっかり慣れてきたが、だからこそ、この街がさびれていくのが寂しいのだ。
柳ヶ瀬ドンキの抜け殻、人のいないシャッター街、少し鼻につくカビの匂い、衰退を受け入れてしまった我ら岐阜人、高島屋が出したプレスリリース一枚でハリボテ一夜城と化した岐阜高島屋。どれも大した思い入れなどないが、そこにあって当たり前のものが誰に止められるわけでもなく、静かに崩壊していくのを見るのは寂寥の感である。
そんなことを考えつつも足は名古屋行きの列車に向かう。
誰もそこに違和感を覚えないし、これからも毎日続けるのであろう。
そう、ここはあきらめたまち、岐阜である。